店主のひとりごと

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竹ほぞが教えてくれた、昔の日本人の知恵

仏具の修理をしていると、名古屋の最高級仏具の中から、時々「竹ほぞ」や「竹釘」が姿を現す。
現代なら、金属の釘やビスを使うことが当たり前かもしれない。
それなのに、昔の職人は、あえて竹を選んだ。

最初は「昔の人は竹しかなかったからだろう」と思っていた。
でも、よく考えてみると、それだけでは説明できない。

竹は軽く、強く、加工しやすく、錆びない。そして木と一緒に呼吸するように伸び縮みする。
だから、仏具という何十年、何百年と受け継がれる道具には、とても理にかなった素材だった。

そんなことを考えていると、ある古神道の宗家の方の話を思い出した。
昔の日本人は、庭に松・竹・梅を植えていたという話だ。
松も竹も梅も薬になるとおっしゃっていた。
それが歴史的に全国共通だったかどうかは分からない。
けれど、その考え方には深くうなずけるものがある。

松は、松葉茶や松脂として役立つ。
梅は、梅干しや梅酢となり、人々の健康を支えてきた。
竹は、筍として食べられ、熊笹茶にもなり、さらに竹細工や竹釘、竹ほぞとして暮らしを支えてきた。

つまり、松竹梅は単なる縁起物ではない。
**「生活を支える植物」**でもあったのだ。

昔の日本人は、自然を飾りとして眺めるだけではなかった。
自然の恵みを理解し、暮らしの中で生かしてきた。
そして、その積み重ねが、やがて「縁起が良い」という文化へと育っていったのかもしれない。
一つの竹ほぞを見ながら、そんなことを考えた。

昔の職人は、ただ材料を選んでいたのではない。
自然の性質を知り、その知恵を道具の中に残してくれていた。

私は仏具を修理するたびに、昔の職人と会話をしているような気持ちになる。
「なぜここに竹を使ったのだろう。」
その答えを探していると、修理をしているつもりが、いつの間にか昔の日本人の暮らしや自然観を教えられている。

もしかすると、本当に修理しているのは仏具ではなく、忘れかけている日本人の感覚なのかもしれない。

さっき、父ならどうするかと思い相談してみた。
父は「無理にボンドを取らなくてもいい。金箔を押してきれいに見せればいい」と言った。
私は「どう外すか」ばかり考えていた。
でも父は、「本当に直すべきものは何か」を見ていた。

技術とは、難しい修理をすることだけではない。
必要以上に手を加えないことも、また職人の技なのだ